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連日トルネフ555 [ ― 連日トルネフ]

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 確率的なことではありますが、今日は連続日数をコメントしない何パーセントかの確率に当たってしまいました。

 さて、間違っているかもしれませんが、トルネフの日数アナウンスには次が用意されていると思います。
 ・555日間、連続起動ですよ。
 ・555日間、連続起動ですよ!
 ・連続起動555日め・・・・・・フ。
 ・さすがkuro2waku・・・連続起動、555日めですカラ!
 ・連続起動555日めの本日も、はりきってご案内いたしますよ!
 ・555日連続で使ってくれトルネ!アリガトウございますね。
 ・555日め〜555日め〜ナイス連続起動ですよ〜
 ・555日も続けてお会いできまして、とてもウレシイですよ。フ。
 ・555日連続起動しましたkuro2wakuを、あがめてみております…ハー。
 ・kuro2wakuは今日で555日続けてトルネしていらっしゃいますよ。

 本日、上記のどれかであったとして、その出現率というのは何に依存し、偶然性をどのように筋立てているのかは不明です。特定日数で上記コメントパターンをコンプリートする実験していますが、所詮、全部揃えることは、確率論と時間の有限性との両観点から鑑みれば未達成確実です。少なくとも、ほとんど人類史上を超えるような永続的時間が必要でしょう。

 だから(絶対にコンプリートできないだろうと考えつつ、)、確率的に不可能と宣言して差し支えない事象について、その事象の網羅を目指すことは、できないことに挑戦するエンターテイメントとして成立しているのかもしれません。

 もし、万が一にも、全部揃える(コンプリートなる)という事実に出会えたならば、もともとから計算・脚本化されたものなのかもしれません。そう思わせる具合にランダムにするのが、大事な味付け要素です。宝くじの当選のように極めて希少であっても、必ず的中があるように仕組む計算・脚本であるならば、それはそれで射幸心をうまく煽ったゲーム、となりまして、これはこれでエンターテイメントとして成立します。

 偶然が起因する永続的挑戦のエンターテイメントとしても成立、組み込まれた結論のエンターテイメントとしても、それもまた成立です。

 そういう、(実際はどうでもいいことでありつつ)深淵にあるようなことは置いておいて、毎日、連続して使っているユーザーに対して、よりにもよって555日目に日数無しコメントにしてくれなくてもいいんじゃないか、と、愚痴りたくなります。
 しかしそれはユーザー側の問題でして、持っているツキという正体不明のものに起因しています。